あいあいの里だより
手書きで「あいあいの里だより」を作っています。
あいあいの里とは、私の住む相田地区の “あい” と、アイガモの “あい” を掛け合わせたものです。「赤米の穂が、見事な紅葉になってきました」「アイガモ達は、毎日元気いっぱいです」と刺し絵を入れて、作業中に気づいたことや、田舎の風景など色々なことをお知らせしています。
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若狭町相田集落
よしむら農園は福井県若狭町の「相田集落」にあります。
集落の紹介
◆ 世帯数:100世帯 ◆ 人口:338人
相田区は旧丹後街道を挟んで南北700m東西100~200mで背後に滝谷山・大谷山・白谷山等をひかえ南北に走る小浜線及び国道27号線があり、それに交叉して鰣川(はすがわ)・串小川・大谷川・八幡川・黒田川の5河川をいだいています。西方には熊谷大膳の居城・城山をひかえ、東には丸山牡丹墓などの丘陵地帯(現在デンヨ―工場敷地)があります。平野部には古来宿命的な戦場らしく地名にその名残(サルコべ・ミナミガチ等)があり、丘陵地帯には古墳群(きよしの古墳)があります。昭和54年に、鉄筋コンクリート3階建ての集落改善センターが完成し、集会や春の大祭など各種行事開催の場として広く利用されています。
集落所在の神社仏閣
<神社>
- 天神社(字上門口に鎮座)
- 天神社沿革史によれば、『寛文4年当天神社(大椎大権現・八幡社併祀)は鎌倉公(北条時頼)以前の創建にかかわるものにて氏子の崇敬厚く年々その祭礼欠きたることなし。』と記されている。祭神は菅原道真を祀る。
- 享和元年8月16日、大椎大権現の千年祭を執行(天神社沿革史より抽記)
- 文政元年8月 八幡社の千年祭を執行(天神社沿革史抽記) 旧村社。
- 権現社(元天神社境内社。明治41年に天神社に合祀) 祭神は権現大神。
- 八幡社(元天神社境内社。明治41年に天神社に合祀) 祭神は誉田別尊。
- 神明社(元天神社境内社。明治41年に天神社に合祀) 祭神は天照皇大神。
- 天王社(元天神社境内社。明治41年に天神社に合祀) 祭神は牛頭天王。
- 愛宕神社(元字平石に鎮座。明治41年に天神社に合祀) 祭神は迦具土神。
- 金比羅社(元字高野谷に鎮座。明治41年に天神社に合祀) 祭神は大物主大神。
- 山神社(社跡に大きな石灯籠。明治41年に天神社に合祀) 祭神は大山祇命。
- 日吉神社(元集落内に鎮座。明治41年に天神社に合祀) 祭神は大山咋命。
- 春日神社(元字宮の窪に鎮座。明治41年に天神社に合祀) 祭神は天児屋根命。
- 山王社(元字高野谷口に鎮座。明治41年に天神社に合祀) 祭神は山王大神。
- 不動尊社(字滝谷に鎮座) 滝谷山山頂にあり、境内には33mの不動の滝がある。
- 風神社(字桂に鎮座) 桂山山頂にあり
- 秋葉神社(元字高野谷に鎮座)国道27号線東200mの山頂にある。
<寺院>
- 伝芳院(字天王地に所在) 山号紫雲山。曹洞宗。本尊釈迦如来。応永17年向陽
- 寺2代伝芳良授の時、城主山左衛門太夫殿御建立の由申し伝え候(若州管内社寺由緒記)。元は相田天神社境内の南側にあり明治4年ごろに篤志家の土地寄付により現在地に移築した。
- 善光寺(字茶ノ木下に所在) 山号盛運寺。天台真成宗。
- 本尊一光三尊(阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩)。かつては西方寺と称した。
年中行事・伝承行事等
- 1月1日 四方拝
- 集落の神主と氏子総代計4名が前夜より天神社社務所で参籠夜通しかがり火を焚き参詣人を待つ。午前1時に雑煮、お神酒を神前に供えて四方拝祈願する。
- 1月1日 新年年賀式
- 伝芳院に相田区民(檀徒)が参集して年賀の挨拶と区長・方丈の挨拶を受ける。
- 1月9日 山の口講
- 相田区主催の盛大な神事であり、古来山の恩恵にあずかる相田区民は、山の神を崇敬する念が厚い。元旦から当日までは絶対に山に入ることを慎み、小豆飯を炊き御神酒を供えて山の神を祀る。昔は3派の山の神講がありそれぞれの派の当番の家に集まり行事を行っていたが、大正15年頃から区一本に統一して山の神の掛け軸(3本)を掛けてお祈りする。当日は製材会社や木材仲買人等から御神酒の寄付があり、区の山林会計よりの多額の出費と区役員の饗応準備などにより山の恩恵にあずかる相田区民が山の神に感謝をささげて神まつるほほえましい行事。
- 1月14日 お日待講
- 伝芳院で厄年を迎える人の厄払い祈願を行う。その後厄年の披露による酒・肴で直会(なおらえ)を実施。
- 1月14日~15日
- 宮守・総代4名が大晦日当夜と同じかがり火を焚いて参拝人を迎える。午前1時に小豆雑煮をお供えする。15日午前中はどんど(左議長)でにぎわう。近年参詣者の便宜を考えて正月の第2月曜日(成人の日)に開催されている。
- 1月16日 仏法始め(観音講)
- 昔はもち講・飯講等3組に分かれて勤めていたが大正10年頃から1本化になり年3回の念仏を申し上げる。準備には観音講当番が当たりお茶などを供する。
- 1月25日 初天神
- 小豆飯をお供えして初天神を祝う。夜は宮囃子を奉納していたが近年は4月1日(大祭宵宮)、7月6日(祇園祭)、9月18日(不動尊祭)3回の奉納である。
- <宮囃子>
●踊り場で奉納するもの、○君が代 ○再渡〈サイト〉唐団扇(トウツワ)
●道中打ち ○神宮(ジングウ)○宮掛(ミヤガカリ)○支屋切(シャンギリ)
●宮打ち ○畷囃子(ナワテバヤシ)○布袋(ホテイ)○唐支屋切(カナシャンギリ)○評蔵(ヒョウゾウ)○舞(マイ)○獅子(シシ)△祇園囃子(ギオンハヤシ)がある。これらは現在伝承されている。その他にらん的・明月(メイゲツ)・津島(ツシマ)・唐子(キャラコ)・吹切・絹絹(キヌギヌ)・方円・喜屋留(キャール)などの名曲があったそうだが保存伝承されていない。△祇園囃子は7月6日の祇園祭のときのみ奉納している。
- 2月3日 節分祈祷会
- 伝芳院で『大般若理趣分』をくり祈祷する。
- 3月4日 祈念祭(新年祭)
- 渡辺宮司を迎えて、天神社に神主・区長・氏子総代が集合して1年間の安全を祈願する。
- 3月15日 涅槃会(ねはんえ)
- お釈迦様の亡くなられた日の法会で団子まきが行われる。近年はこの日に近い日曜日に行われている。
- 3月上旬
- 天神社祭礼の当番(20名)は祭礼執行の協議を行う。『王の舞』『巫女掛』『御幣差』の任命・責任者及び役割分担を決め準備を始める。王の舞は師匠野村平助宅(現在は吉村彦右衛門宅)で上旬の吉日から練習を始める。舞いを行うのは普通は小学生で猿田彦の舞である。
- 3月27日 開山忌・祠堂施餓鬼
- 伝芳院の開祖 伝芳良授様・法地開山 大学道勇様の供養を行う。同時に永代供養を行う。
- 3月31日 当家祭礼準備
- 全員が出役して天神社及び御旅所等を清掃並びに準備物などを用意する。
- 4月1日
- コウリカキ(海水に入りみそぎをなす。)に王の舞・御幣差の親子4人が久々子浜へ行き、海水1樽と海藻(ホンダワラ)、浜石を持ち帰る。塩水は御神輿担ぎの丁(よぼろ)達の清めの水とし、海藻はしめ縄のしたたれとする。浜石は御捌様の庭に敷く。
- 当番組は朝からお供え用の(花びら)もちつきを賑やかに行う。
昔は長杵でもちつき歌(郷土民謡)を歌いながらお祭りを盛り上げていった。 - 神主は朝から300枚の美濃紙で、大御幣2・中御幣2・小御幣12を精進人に協力して作る。
当日御捌様(オハゲ)を準備して宵宮を迎える。 - 宵宮(大祭前夜) 宮囃子の奉納を行う。
天神社拝殿には恒例の冠句奉納額が掲げられ大勢の区民参拝を受け賑わう。
宮囃子奉納終了後、神主・当家責任者・精進人親子・氏子総代の9名が宮籠りを行う。
- 4月2日 天神社大祭
- 宮籠りした神主・精進人はコウリカキ後一切別室で精進料理を食べ、大祭神事に備える。午前9時ころより小宮参りして(3回)祭りムードを高める。
- 子供会は法被・はちまきを着用して午前11時に集合、おにぎりを食べ子供神輿の準備に天神社に出かける。
- 若相会はそろいの法被で11時半ごろ集合塩水でコウリカキをして厳粛なる村立ちの儀式に臨む。
- 『村立ち』
- 村立ちの儀式は午後1時頃から始まる。①修抜②祝詞奏上(宮司)③玉串奉典(宮守・区長・氏子総代・当家責任者・大人御輿代表・子供神輿代表)④盃事(配膳椀並びに片木板に豆・漬物をのせ配置する。)片木板に椀をのせ片口にて御神酒を注いで回る。1献~3献、11ごとに盃が大きくなり最後には片木板の椀に御神酒を注ぐ。⑤半紙の4切の上にお洗米を配る。⑥笛の合図で全員が村立ち ⑦王の舞 当家前(センター前)で舞いを奉納する。
- 式終了後天神社に行列を組み向かう。順序は①宮司②宮守③大御幣④御幣差⑤巫女掛⑥王の舞⑦御捌様(オハゲ)⑧御神酒錫⑨御供物箱⑩獅子箱⑪浮輿
- お宮移し(御霊移し)の前の儀式は村立ちの儀式と同じ順序で④御神体を神輿の中に安置し⑤祝詞奏上⑥神輿を鳥居前に据え⑦王の舞・獅子舞を奉納する。
- 神輿・子供神輿は村里に巡幸される。
- 午後3時 御旅所での行事 神輿・子供神輿を据え座敷を用意して若相会全員の整列する中盛大な行事が行われる。王の舞・獅子舞の奉納後見物客多数あり、当家の中には餅まき・花換え祭り・抽選会など祭礼の盛り上げ方法に特色が出ている。
- 村里を巡幸中の神輿が夕方、御霊移しを宮司の手で行われると祭が終了する。
- 4月3日 後片付け・精進上げ(最近は2日の夜に行うことが多い)
- 6月20日 大般若祈祷会
- 伝芳院で『大般若経600巻』をくり祈祷する。
- 7月1日 風神祈念祭
- 伝芳院方丈・宮守・区長・氏子総代の6名で行う。標高200メートルの桂山山頂の祈願所で行われる。雨天の場合は天神社で行われる。
- 7月6日 祇園祭宵宮
- 宮囃子を奉納。この日だけの『祇園囃子』は最後に奉納される。
- 7月18日 秋葉神社祈念祭
- 秋葉神社に集合して伝芳院方丈・宮守・区長・氏子総代の6名で行う。雨天の場合は天神社にて行う。
- 7月23日 愛宕神社祈念祭
- 愛宕神社に集合して伝芳院方丈・宮守・区長・氏子総代の6名で行う。雨天の場合は天神社にて行う。
- 8月1日 夜施餓鬼
- 伝芳院本堂で行われる。特に新盆、戦死病没者、年回正当精霊の供養が行われるので意義深い。昔は1日から7日まで毎夜行われて居たが現在は簡素化され1日のみである。
- 8月7日 開基前川家夜施餓鬼
- 130年ほど前に相田区の窮地を助けていただいた前川家の供養。区が山のことで多大な費用が必要になったとき、京都の前川嘉吉氏(南前川谷内出身)に協力していただいた。その恩に報いるため、永代供養を続けている。当時施餓鬼田として田、5反6畝24歩を充当していたが農地法施行で失い目下相田区の特別会計より費用を支出して供養を欠かしたことがない。
- 8月11日 墓施餓鬼
- 相田区の共同墓地で行われる異色の施餓鬼。古老の話によると当夜雨の降ったことを知らぬという。各戸より数名は参加するので集落集合人数としては最高の300名~350名くらいの参加で大変賑やかである。各家の墓地に飾られた供花と灯明・扇子を持った老若男女の群は、祖先崇拝の風習と織りなす夏の風物詩ともいえる。
- 8月14日 山門大施餓鬼・万台
- 大施餓鬼は転出の人々・他集落へ縁付いた人々・出郷後立身出世人々等一堂に会して祖先をまつる一大行事で広い本堂も立錐の余地なし。施餓鬼の水向けや旗取りは餓鬼のそのもので、以前は大混乱や乱闘を繰り返すほどの賑やかさあった。
- 終了後法事該当者の合同万台が行われる。他集落のような太鼓や念仏は無い。
- 8月16日 観音講
- 念仏を申し上げる。準備には観音講当番が当たりお茶などを供する。
- 9月18日 不動尊祭宵宮
- 天神社に区民が参集し、献灯、宮囃子が奉納される。
- 9月19日 不動尊祭
- 標高200mあまりの滝谷山頂に祭祀の不動尊神社に参詣。伝芳院方丈・宮守・区長・氏子総代の6名が参加。山道が荒廃した為山道の入り口付近の水神さんでおこなうときや雨天の時は天神社で行うときもある。本祭礼は秋祭りであるが(牡丹もち祭り)、春祭りに比べ質素な祭である。
- 11月25日 新嘗祭
- 収穫に感謝して宮司・宮守・区長・農家組合長・氏子総代が集合して行う。終了後センターにて、1年間の感謝と慰労をかね直会が行われる。
- 12月3日 成道会
- 釈尊が悟りを開いたことに習い修行する。正当の12月7日には開山堂にて午後7時から10時まで座禅を組み修行する。
- 12月18日 仏法納め(観音講)
- 年3回のうちの最後のお講で念仏を申し上げる。観音講当番が当たりお茶などを供する。
- 12月23日 お初穂集め・大麻頒布
- 氏子総代3名が天神社にて神社割の集金や新年の大麻を頒布する。伝芳院でも檀徒総代が寺割の集金をする。
- 12月31日 天神社宮籠り
- 清掃・供花・しめ縄を作り新年を迎える準備を行う。(石鳥居・拝殿・神輿小屋・小宮様・山の神・水神・秋葉社)お供え本殿鏡餅3重小宮様小餅・各社に穂長ゆずり葉みかん等の供物を用意する。本殿社務所には幕を張る。書初め張り付け用のベニヤ板を用意して新年を迎える。境内にはかがり火を豪勢に燃やして新年の参詣者を迎える。宮守・氏子総代は宮籠りして新年を迎える。
- 12月31日 除夜の鐘
- 伝芳院の年越し行事。除夜の鐘の年越しそばを提供する。
- 梅花講
- 『曹洞宗梅花流詠讃歌』を唱える講で定期的に練習会を行い、葬式、法要等には方丈様と共に重要な役割を分担している。
消滅した年中行事等
- 戸祝い
- 餅花
- 作り始め
今後、伝統文化を保存継承するために取り組んでいきたい事項及び要望事項
- 4月2日に行われる天神社の春祭りは、かって年に一度の最も集落が盛り上がった日であったが、生活の多様化と少子高齢化の波をうけ、寂しくなる一方である。
- 山(山車)の復活等、若者を中心に集落活性化に向けての気持ちが出てきたので、区としてもバックアップをしたい。
アイガモ農法とは
1.アイガモ農法とは
アイガモの雛を水田に放して雑草と害虫を食べさせ、アイガモの排泄糞を肥料として、無農薬、 無化学肥料の安全なお米とカモ肉を同時に生産する水田高度利用の環境共生型農法
2.アイガモの特性
- 雑食性・動物から植物の柔らかいもの
- 刷り込み・人間を親と認識する
- 群集性・群れる習性が強い
- 水の中が大好き
- 鶏肉(カモ肉)がおいしい
3.アイガモ農法の魅力は
- 水田の有畜複合経営
- 動物を活かす生物技術
- 逆転の自然認識
- 家畜の機能
- 総合技術
- 無農薬の安全な食料
- 農家の所得向上
- 農民の技術の展開
- 環境を守る
- アイガモの教育力(命の大切さを理解してもらえる)
4.アイガモ農法の目指すもの
- 健康志向に応えての安心な食料を生産
- 環境を復元して生物の多様性をとりもどす
- 水田を多目的に活用する
- 子供たちが農業現場に戻ってくる
- 心が躍る楽しい農業
- 米の価値が高まる
5.アイガモ農法の技術的効果
- 除草効果
- 害虫駆除効果
- 肥料効果
- 中耕汚濁効果
- 接触刺激効果
- 条間の空気の循環効果
6.育苗・育雛
- 育雛
- 放鳥
- 丈夫な苗つくり
- 苗がアイガモの雛に負けないように
- 苗と雛が同時に育つ工夫をする
- 放鳥はできるだけ晴れた日の午前中に行う
- 外敵対策
- アイガモとの対話の時間
アイガモとの1年
3月 | アイガモ水田の準備と田植え アイガモは水田に放鳥する。 アイガモは水田の雑草や虫(害虫)を 食べてくれる。 根の周りを刺激して稲の成長が助長される。 アイガモの排泄物は肥料になる。 水田をかき回すことにより汚濁効果見られる 網を張る アイガモが逃げないために網を張る 狐、いたち、犬、猫、カラス、鳶などの外的から守る 電気柵を張り巡らす 空からの防御策としてテグスや蛍光糸を張る |
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4月 | アイガモの雛(ヒナ)の到着 大阪よりアイガモのヒナが送付される 配達だと時間がかかるので敦賀営業所に引き取りに行く(朝6時) 帰宅後到着したヒナに牛乳と砂糖水を飲ませて元気に育ってくれることを願い養育開始する ヒナの養育 生後2日~3日位のヒナはミルクのにおいがする 赤ちゃんヒナは寒さに弱い 餌は幼雛用でないと消化できない 青餌、水が一緒でないと飲み込めない やぐらコタツで保温するが火事が心配 赤ちゃん雛は餌を与えると与えただけ食べる |
5月 | 水田に放鳥する 2週間くらいして水田に入れる 今までの暖かいところから寒いところへ環境変化に対応できるように屋根つきの退避小屋を作り電灯による保温を考える 餌を与えるときにバケツをたたいて与えて習慣づけする 水田にはあまり草が生えてきていないので最初のうちは雑草や青草を混ぜてやる 毎日の餌をやる 合鴨は食欲旺盛 アイガモは口から胃袋(砂袋)まで道中が長くて満腹感が出てこない。常に食べていないと落ち着かない性質。 餌をやるときに鴨と話し合う 水田に水が充分あるか確認する。 外敵から合鴨を守るには水が一番(水鳥) |
6月 | ある朝1羽もいない!! 電気柵の電源が入っていない朝 狐の仕業か???? どこえ逃げたか?何匹とられたか? 大捜索開始(バケツをたたき普段のように餌をやると稲の陰や崖の際からぞろぞろ出てくる) 恐怖感があり今までの様に行かない |
7月 | 水田から引き上げる 出穂が近づくのでアイガモを水田より引き上げる ハウスに餌を与えて取り込む 捕まえようとすると逃げる! 餌を与えて全部がハウスに入った頃合を見て閉める 広い水田でのびのびしていたのに狭いハウスでストレスがたまらないか心配 ヒナの誕生 親鳥が卵を抱いているのを発見 蛇に食べられないか又イタチにやられまいか心配 鴨の卵は30日~35日(普通ニワトリは20日くらい)で孵化する |
8月 | 親鳥との合流 10日雛を親鳥と合流させる 狐に驚かされた親鳥は卵を抱くことをあきらめた 孵卵器で孵化したので最初に動くものを親と思う(刷り込み) 親鳥の食べる餌と雛の餌の違いが気になる |
9月 | 稲の刈り取り 待ちに待ったアイガモの稲刈り 今年は不作年でありますが見かけだけは良くできているような気がする 合鴨の卵は中風に効く!健康にいい! 合鴨の卵は少し緑色のニワトリより少し大きくて殻が強い カロリーや栄養で注目されている(薬膳料理) 有機栽培で農薬や化学肥料を使用しない安全な食料品として アイガモ米はおいしい!!! |